相沢事件へ
真崎教育総監が罷免され後任は陸軍大臣と参謀総長の協議により渡辺錠太郎が教育総監となります。
この決定は皇道派から疑義がでました。
2長官の協議で教育総監が決まるのはおかしいというのです。
つまるところ教育総監部に統帥権があるかどうかということです。
皇道派は統帥権があるとしていました。
統制派は教育総監部を統帥権はないと考えました。
こうした両派の対立は真崎罷免により怪文書が出回る原因となります。
さてこのような一種の粛清にはリーダーの指導力というわ統制力が必要です。
ところが一般に言われるように林陸軍大臣にはそれだけのものがなかったようです。
つまり永田鉄山に頼りきっていたわけです。
こうした状態が次の事件を生むことになります。
いわゆる相沢事件です。