2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

5・15事件

5・15事件を時間の経過を中心にたどってみます。 5月15日 午後5時ごろ 三上卓中尉ら4人の海軍将校と後藤映範ら5人の 陸軍士官候補生が首相官邸に乱入。犬養毅首相をピストルで射殺。 同じ頃 古賀清志海軍中尉ほか4人の陸軍士官候補生は牧野伸顕内…

5・15事件へ

上海事変がおわりました。陸軍中央は不満が充満します。「なぜ勢いに乗じて南京まで攻めなかったのだ」という不満です。 こうした不満を反映したのか昭和7年に暗殺事件が相次ぎます。 2月9日 井上準之助前大蔵大臣射殺 3月5日 団琢磨三井合名理事長射殺…

上海事変を終わらせる

上海事変の終わり方について書きます。 天皇が上海事変の不拡大を指示している一方、陸軍はどんどん拡大しようとします。 時の内閣は犬養毅でした。彼は陸軍に圧され中国軍の撃破のために2個師団を派遣することにします。 この派遣師団の司令官が白川義則大…

上海事変

昭和7年1月18日に事件は起きます。 日蓮宗の坊さんが2人、信徒が3人上海の町を托鉢しているときでした。抗日運動に名を借りて反日分子を装わせた中国人が坊さんたちを襲撃します。 この策謀の後ろには川島芳子がいたようです。この人、東洋のマタ・ハ…

上海事変へ

満州への侵略をすすめた結果、当初もたもたしていた国際連盟も動き出します。あまり日本を批判的にみていなかったアメリカも態度を硬化し始めます。 こうした事態の変化に対して日本は、満州の状態は引き返すことができない状態であると考えます。 さて、こ…

満州での戦火が拡大

満州では戦争が拡大していきます。 こうした中、中国は国民党が蒋介石、汪兆銘の2派に分れさらに毛沢東の共産党がいました。この3派がそれぞれ抗争をしていたので日本と戦うという点で気持ちが一つというわけにはいかなかったようです。 蒋介石は国際連盟…

インパール作戦

日本軍のインド侵攻作戦です。 昭和19年1月7日 大本営はボースのインド独立運動救援のためインパール作戦を許可 3月5日 第15軍司令官牟田口中将インパール作戦開始を主張 3月8日 牟田口中将は配下の3個師団を三方より進める 3月15日 第15・…

満蒙問題解決案

昭和6年10月2日に関東軍は「満蒙問題解決案」を決めます。 その方針は、満蒙を独立国としして関東軍の保護の下に置いて、材満蒙各民族の平等なる発展を期そうという内容です。 これは石原莞爾が中心となって作ったもので、彼としてはもともと満州を日本…

満州事変2

さて、関東軍は朝鮮軍に出動を考えます。ところが、軍隊というものを国境を越えて動かすには、統帥命令によらなければなりません。つまり天皇の命令が必要だったのです。 天皇は拡大に反対だったためこの命令はなかなか出ませんでした。 一方、朝鮮軍は国境…

満州事変勃発

9月18日 柳条湖あたりで鉄道が爆破されます。もちろん関東軍の仕業です。 「すわ事件」ということで関東軍司令部は奉天へと出発します。 翌日の午前1時7分に陸軍中央に爆破されたことを知らせる電報が届きます。これに対して陸軍中央は不拡大の方針を建…

独断専行へ

先日書いたように国民感情は満州の植民地化に向かいっていきました。陸軍は時節到来と思ったわけです。 そんなとき、事件が起こります。昭和6年6月27日。中村震太郎大尉という人がスパイ容疑で中国軍に殺されます。さらに、7月2日に満州で中国の農民と…