2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

満州事変への道

昭和4年アメリカのウォール街で大暴落が起こり経済が逼迫してくる中、昭和5年ロンドン軍縮条約により海軍軍人の整理が始まります。これに陸軍が危機感を持ちます。 こうしたところに石原莞爾が登場します。彼は永田鉄山と並び称される陸軍の雄でした。 そ…

君側の奸

君側の奸。くんそくのかんと読みます。昭和の歴史を語るときによく出てくる言葉です。 昭和天皇を取り巻く元老、内大臣、侍従長、侍従武官長、宮内大臣といった宮中のトップの人たちのことです。 元老とは、大正天皇の摂政の宮に昭和天皇がなられたときに、…

張作霖事件

昭和3年6月4日のことでした。蒋介石の国民党軍と衝突して破れた張作霖が北京から逃げてきます。 張作霖というのは満州の大軍閥です。当初日本軍は彼をおだてて満州を勢力下に置こうとします。張作霖としても日本軍を利用することで蒋介石との戦いを有利に…

軍法会議

日本人軍人、軍属、軍学校生徒等に関する刑事裁判を取り扱う特別裁判所です。軍人の犯罪は、陸海軍刑法違反に限らずに、軍事機密保護の観点から通常の裁判所ではなくすべて軍法会議において裁かれました。 軍法会議には常設軍法会議と特設軍法会議がありまし…

蹶起趣意書

2・26事件を起こした青年将校たちが蜂起に際して配布した檄文です。 元老・重臣・軍閥(統制派)・財閥・官僚・政党を国体破壊の元凶であるとしています。 また、ロンドン軍縮条約の締結および真崎甚三郎教育総監の罷免を統帥権干犯と断定しています。 天…

2・26事件将校の遺書公開

死刑を執行された19人のうち17人の遺書が公開されたそうです。 http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY200507120320.html この17人は西田税と北一輝以外ということなので 昭和11年7月12日に処刑された 香田清貞(元歩兵大尉、34歳) 安…

教育総監

教育総監というのは陸軍の教育を統括する教育総監部の長官のことです。元来は陸軍大臣の下に位置していました。 1900年(明治33年)以後、天皇直隷となり、陸軍大臣・参謀総長とともに陸軍三長官を構成します。 教育総監は中将・大将があたるものとさ…

教育総監更迭問題

皇道派と統制派の対立はますます激しくなっていきます。 その中で士官学校事件を契機に真崎甚三郎教育総監の更迭が浮上してきます。真崎は天皇機関説問題に関して在郷軍人を煽動したり、機密事項を若い将校に漏らすなど行動に問題があったとされています。 …

士官学校事件

士官学校事件の結果、村中、磯部は証拠不十分として不起訴処分となります。同時に行政処分としてもっとも重い停職処分を受けました。停職処分を受けると6ヶ月は復職できず、そのまま1年たつと自動的に予備役にまわされます。 一方、辻は重謹慎30日の処分…

士官学校事件

ここで士官学校事件について書きます。 辻正信の中隊に佐藤勝郎という長崎出身の生徒がいました。この佐藤が辻のところへ次のような報告をします。 「自分の隣の中隊にいる武藤与一というものが村中大尉や磯部一等主計、西田税らの影響を受けて国家改造理論…

辻正信

ここで辻正信の士官学校時代のエピソードを書きます。 初冬の寒い日に辻が中隊を率いて演習を始め、夕方に最後の突撃を命じたときのことです。 先頭のほうがかたまって動かなくなります。幅5メートルほどの溝川に泥水がたまっているため、跳躍できずにいた…