運命の一発

盧溝橋事件の開始は「運命の一発」とされています。
実はこれは一発ではなかったのですね。これは前に書いたとおりです。
さて、どちらが最初に撃ったかということになるとまったく不明のようです。
日本、中国ともお互いに相手が最初に発砲したと言っています。
歴史の出来事はわからないで終わってしまうことが多いのですが、これもその一つだと思います。
ただ言える事は軍隊同士がいきり立っている状態で対峙すれば、ちょっとしたことで交戦状態になるということでしょう。
問題は一時的に交戦状態になったとしても、その後の処理です。
お互いに穏便にことを終わらせたいと思っていれば収束に向かうのですが、どちらかがこれ幸いとばかり戦闘状態の継続を望めば大きな戦闘へと発展します。
この時日本側で牟田口連廉也隊長が連絡を受け、ただちに「敵に撃たれたら撃て。断乎戦闘するも差し支えなし」と命令を出します。
まさに抗戦命令を独断で出したのです。
この牟田口さんという人はインパール作戦の中心人物です。
連隊長の頃から勇ましいことが好きな方だったようですね。