ハルハ河を渡った西岸攻撃隊は圧倒的なロシア軍機甲部隊に対して苦戦していました。
日本軍を苦しめたのは相手の攻撃だけでなく、照りつける太陽と焼け付く大地でした。
彼らを支えるべき水はハルハ川を渡るときに満たした水筒だけでした。
その水筒の水ももはや尽きてしまい、これに給水される当てもありません。
補給に対する日本軍の考え方は基本的には現地調達です。
補給線というものを考えずにひたすた前へ進む。
これでは現地調達しかありませんが、そもそも日本軍には補給というものをあまり重視していませんでした。
それはともかく、西岸での苦戦がどうしようもなくなったとき、関東軍参謀は「転進」を決定します。
この理由がふるっています。辻参謀によると
 1.日本軍の補給はただ一本の橋に頼っている。その橋は、明朝以後、航空爆撃と戦車に集中攻撃されて破壊されるおそれがある。しかも渡河材料は皆無である。
 2.今日(7月3日)の戦いで敵戦車の半分を撃破したが弾薬も残り少なく、明日の戦果を期待しえない。
確かにこの状況では転進(撤退)をするのが合理的でしょう。しかし、河を渡って半日たつかたたぬうちに撤退というのでは作戦の失敗ということでしょう。
そもそも補給に対する考えがないに等しいから1本の橋でいいと考えたと思われます。
さらに、弾薬が少ないということは相手の戦力を過小評価しすぎたと思われます。
また、明日の戦果を期待できないとは殲滅される可能性があるということのほかなりません。
ノモンハン事件全般に言えることですが、日本軍の幹部は失敗を隠すことに血道をあげ、失敗からは何も学ぼうとしていません。