ノモンハン終結

こうして関東軍は当初の予定とは異なりハルハ川西岸を占領することなく撤退します。
その後の戦闘は東岸で行われ二度と西岸では行われませんでした。
ノモンハンでの日本陸軍の攻撃は日露戦争と変わりがありませんでした。
すなわち夜襲突撃です。
明治42年に編纂された「歩兵操典」に基づいて、攻撃精神の強調による精神力を戦力の主体としてます。
一方のロシア軍は日露戦争の戦い方を否定するところから日本軍の研究をしていました。
片や敗戦から学ぶ軍隊。片や敗戦から学ばない軍隊。
この差はあまりにも大きかったと思います。
8月に戦闘は終結します。
第23師団は出動人員1万5975人中戦死傷病は1万2230人であったといいます。
76%に達しました。
日露戦争奉天会戦が28%、太平洋戦争のガダルカナル会戦で34%といいますから、いかにこの戦闘が苛酷であったかがわかります。
この尊い犠牲は何もいかされることなく日本は太平洋戦争へと進みます。