海軍VS陸軍

ノモンハン事件の裏側に外交と国政の大事な問題がありました。
近衛内閣が動きがとれなくなって辞職します。これが昭和14年1月4日のことです。
翌日平沼騎一郎内閣が発足します。
この時期にドイツのヒトラー総統から日独伊三国同盟が提案されます。
この同盟は広田弘毅内閣のときに締結した日独伊防共協定を強化して軍事同盟までもっていこうというものです。
ところが、これに反対したのが米内光政海大臣、山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長です。
このため平沼内閣はこの問題を主に取り扱う五相会議(このメンバーは総理大臣、外務大臣、大蔵大臣、海軍大臣陸軍大臣です)を70回以上開いたといいます。
世間では「今日も五相(五升)あしたも五相、一斗をついに買えない内閣」などと揶揄しました。

陸軍はソ連という年来の敵に対抗するために同盟は必要だと主張します。
陸軍としては次に起こる世界大戦に備え同盟締結は不可避なことだと考えました。
このため、対ソ戦略を有利にすすめるためにドイツの力を利用したかったのです。

一方海軍には親独派と親米英派がいました。
もっとも、海軍内での多数派親独派でした。ロンドン軍縮会議での統帥権干犯騒動をさかいに艦隊派を称せられた人たちが多数となったのです。彼らは軍縮会議によって軍艦を制限されたのは英米の陰謀だと考えていました。
ただ海軍の中央はまだ新米派が握っていたのです。

山本次官は強硬派に対して文書で質問を出します。

一、 独伊との関係強化は、対中問題処理の上、かえって対英米交渉に不利にならずや
二、 日独伊ブロックに対し、英米仏が経済的圧迫をなした時の対抗策ありや
三、 日ソ戦の場合、独より実質的援助は期待せられざるべく、かく実質なきものは結局無意味にあらざるや
四、 本条約を締結するとせば、独伊に中国の権益を与えざるべからずに至るなきや


雰囲気に流されず将来をしっかりと見据えている山本五十六の姿がありました。