第2回御前会議へ

8月15日。
山本五十六連合艦隊司令長官は電報命令を発します。
それには
連合艦隊は・・・すみやかに戦備を完了し、時局の急変に備えんとす」
とあります。
もはや戦争は避けることができないと山本は考えたのです。
彼は真珠湾攻撃を本気で考えるのです。
これはまたの機会に書きます。

さて、山本に遅れて政府もだんだん「これはもうダメだ」と考え始めます。
9月6日 第2回御前会議が開かれます。
その前日である9月5日に大本営政府連絡会議が開かれ次の決定がなされます。

1.米英に対して戦争準備を行う。
2.これに並行して日米交渉を進める。
3.10月中旬になっても日米交渉成立の目途が立たなければ戦争を決意する。

この案を近衛文麿さんは天皇へ報告します。
天皇陛下は戦争準備が1番目にあるのでビックリするのですね。
すると近衛さんは
「1、2の順序は必ずしも軽重を示すものではありません。」
などと言ったわけです。

これには天皇も納得しなかったのですが、陸軍海軍の話を聞いて納得されます。
かくして第2回御前会議が開かれ決定をみることになります。