満州事変2

さて、関東軍は朝鮮軍に出動を考えます。ところが、軍隊というものを国境を越えて動かすには、統帥命令によらなければなりません。つまり天皇の命令が必要だったのです。 天皇は拡大に反対だったためこの命令はなかなか出ませんでした。 一方、朝鮮軍は国境…

満州事変勃発

9月18日 柳条湖あたりで鉄道が爆破されます。もちろん関東軍の仕業です。 「すわ事件」ということで関東軍司令部は奉天へと出発します。 翌日の午前1時7分に陸軍中央に爆破されたことを知らせる電報が届きます。これに対して陸軍中央は不拡大の方針を建…

独断専行へ

先日書いたように国民感情は満州の植民地化に向かいっていきました。陸軍は時節到来と思ったわけです。 そんなとき、事件が起こります。昭和6年6月27日。中村震太郎大尉という人がスパイ容疑で中国軍に殺されます。さらに、7月2日に満州で中国の農民と…

満州事変への道

昭和4年アメリカのウォール街で大暴落が起こり経済が逼迫してくる中、昭和5年ロンドン軍縮条約により海軍軍人の整理が始まります。これに陸軍が危機感を持ちます。 こうしたところに石原莞爾が登場します。彼は永田鉄山と並び称される陸軍の雄でした。 そ…

君側の奸

君側の奸。くんそくのかんと読みます。昭和の歴史を語るときによく出てくる言葉です。 昭和天皇を取り巻く元老、内大臣、侍従長、侍従武官長、宮内大臣といった宮中のトップの人たちのことです。 元老とは、大正天皇の摂政の宮に昭和天皇がなられたときに、…

張作霖事件

昭和3年6月4日のことでした。蒋介石の国民党軍と衝突して破れた張作霖が北京から逃げてきます。 張作霖というのは満州の大軍閥です。当初日本軍は彼をおだてて満州を勢力下に置こうとします。張作霖としても日本軍を利用することで蒋介石との戦いを有利に…

軍法会議

日本人軍人、軍属、軍学校生徒等に関する刑事裁判を取り扱う特別裁判所です。軍人の犯罪は、陸海軍刑法違反に限らずに、軍事機密保護の観点から通常の裁判所ではなくすべて軍法会議において裁かれました。 軍法会議には常設軍法会議と特設軍法会議がありまし…

蹶起趣意書

2・26事件を起こした青年将校たちが蜂起に際して配布した檄文です。 元老・重臣・軍閥(統制派)・財閥・官僚・政党を国体破壊の元凶であるとしています。 また、ロンドン軍縮条約の締結および真崎甚三郎教育総監の罷免を統帥権干犯と断定しています。 天…

2・26事件将校の遺書公開

死刑を執行された19人のうち17人の遺書が公開されたそうです。 http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY200507120320.html この17人は西田税と北一輝以外ということなので 昭和11年7月12日に処刑された 香田清貞(元歩兵大尉、34歳) 安…

教育総監

教育総監というのは陸軍の教育を統括する教育総監部の長官のことです。元来は陸軍大臣の下に位置していました。 1900年(明治33年)以後、天皇直隷となり、陸軍大臣・参謀総長とともに陸軍三長官を構成します。 教育総監は中将・大将があたるものとさ…

教育総監更迭問題

皇道派と統制派の対立はますます激しくなっていきます。 その中で士官学校事件を契機に真崎甚三郎教育総監の更迭が浮上してきます。真崎は天皇機関説問題に関して在郷軍人を煽動したり、機密事項を若い将校に漏らすなど行動に問題があったとされています。 …

士官学校事件

士官学校事件の結果、村中、磯部は証拠不十分として不起訴処分となります。同時に行政処分としてもっとも重い停職処分を受けました。停職処分を受けると6ヶ月は復職できず、そのまま1年たつと自動的に予備役にまわされます。 一方、辻は重謹慎30日の処分…

士官学校事件

ここで士官学校事件について書きます。 辻正信の中隊に佐藤勝郎という長崎出身の生徒がいました。この佐藤が辻のところへ次のような報告をします。 「自分の隣の中隊にいる武藤与一というものが村中大尉や磯部一等主計、西田税らの影響を受けて国家改造理論…

辻正信

ここで辻正信の士官学校時代のエピソードを書きます。 初冬の寒い日に辻が中隊を率いて演習を始め、夕方に最後の突撃を命じたときのことです。 先頭のほうがかたまって動かなくなります。幅5メートルほどの溝川に泥水がたまっているため、跳躍できずにいた…

東条英機

ここで東条英機に登場してもらいます。 東条はもともとは反荒木・真崎派でした。 永田鉄山を中心とした「一夕会」に属していました。 その彼が士官学校幹事に転任しました。 士官学校は真崎の地盤です。東条としては真崎に一泡ふかすつもりで勇んで就任した…

ここで永田鉄山が登場してきます。 彼は永田の前に永田なく永田の後に永田なし、と言われた陸軍の逸材でした。 非常に頭脳明晰であるとともに合理主義的な考えの持ち主だったようです。 その彼は当初は荒木、真崎と行動をともにしていましたが、荒木の考え方…

林銑十郎

荒木の後の陸相は林銑十郎でした。 林ははじめ皇道派とされていましたが、陸相になると荒木・真崎を排除しはじめます。 そして、昭和9年3月に永田鉄山を軍務局長にすえます。 さて、この林の人物評ですが、宇垣一成(朝鮮総督)のものがあります。 「落ち…

青年将校の荒木陸相への人気が落ちるにつれて、その支持を集めたのが真崎甚三郎でした。 彼は荒木ほど饒舌、陽性ではなかったようですが、大正末から昭和のはじめにかけて士官学校に長くいたために青年将校の信望を集めたのでした。 荒木が陸相をやめるとと…

5・15事件

昭和7年5月15日夕方事件が起こりました。 この事件で犬養首相が暗殺されます。 しかし、これ以外にこれといった成果はありませんでした。 内大臣官邸では手榴弾が投げられましたが、巡査が一名負傷しただけで牧野内大臣は無事。 そのほか、襲撃した三菱…

昭和6年12月犬飼内閣成立とともに荒木貞夫は陸相になります。 彼は青年将校たちに絶大な人気があったそうです。 その理由として彼の陽気な性格とこれによる国粋主義を大いに語っていたことがあげられます。 彼の陸相就任にともない、青年将校たちはすぐに…

昭和4年に東京に一夕会(いっせきかい)という会が生まれます。 この会の申し合わせに ・ 陸軍の人事を刷新して諸政策を強く推し進めること ・ 荒木、真崎、林の三将軍をもりたてながら正しい陸軍を立て直すこと というのがあったそうです。 この会のメンバ…

「砂の器」は松本清張氏の作品です。 この作品は昭和36年7月に光文社から発行されています。 この作品の舞台となった時代はほぼ書かれた時代です。 この時代の様子を示すことばの一つが「トリスバー」でしょう。 この「トリスバー」は昭和30年代に人気…

グリコ・森永事件

昭和59年3月18日江崎グリコ社長江崎勝久氏が3人組に誘拐されます。 ここから事件が幕を切って落とされます。 犯人は身代金を要求しますが、江崎氏は21日に大阪・茨木駅近くの小屋から抜け出し警察に保護されます。 この後犯人は「怪人21面相」を名…

カネミ油症事件

昭和43年の3月ごろのことです。 福岡県を中心に西日本一帯で事件が発生します。 症状はニキビのような湿疹や色素沈着が全身にあらわれました。 原因はカネミ倉庫(本社北九州市)から出荷された米ぬか油にPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入していたた…

二・二六事件

昭和11年の今日未明、野中四郎・安藤輝三ら将校20人に率いられた歩兵第1・第3連隊、近衛歩兵第3連隊は「尊王討奸」と合言葉に首相官邸などを一斉に襲撃、斉藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らを殺害、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせま…

永田軍務局長暗殺事件

陸軍内の派閥対立による暗殺事件。 相沢事件ともいう。 昭和10年(1935年)8月12日、相沢三郎中佐は陸軍省内で、永田鉄山軍務局長を白昼堂々斬殺しました。 当時陸軍内は皇道派と統制派との争いが激化していて、8月には皇道派を陸軍中央部から一掃…

士官学校事件

昭和9年11月に起こった事件です。 十一月事件とも言います。 陸軍青年将校によるクーデター計画があったとして、将校と士官候補生が検挙された事件です。 皇道波である青年将校村中孝次と磯部浅一らが検挙されています。 軍法会議では証拠不十分というこ…

もうすぐ2月26日です。 昭和11年2月26日のいわゆる2・26事件は日本の進む方向を決定したといってもよい事件でした。 そこで、2・26事件を理解するうえでのいろいろな項目を今日から書いていくことにします。 まず、北一輝です。 彼は日本を代…

浅間山荘事件

昭和47年の今日、浅間山荘事件が起こります。 連合赤軍のメンバーが警察に追われ長野県軽井沢で管理人を人質に河合楽器浅間山荘に篭城します。 立てこもること10日間。 機動隊が山荘を破壊して突入。警察官に犠牲者を出した中で人質の無事解放に成功しま…

越路吹雪さんと阪急電車

大正13年の今日越路吹雪さんが生まれています。 越路さんといえば宝塚歌劇団。 彼女はまた宝塚在籍で映画に出演した第1号の一人でした。 この越路さんが始めて映画に出演することが許可されたのが昭和25年の8月のこと。 一緒に許可されたのが乙羽信子…