いよいよ三国同盟へ

かくして近衛文麿首相によって、というよりも松岡洋右外相の主導によって三国同盟は締結されるはこびとなります。
ところで海軍はなぜ賛成に廻ったのでしょう。
まず、三国同盟の必要性はどこにあったのでしょう。
まず、アメリカへのけん制です。
アメリカのヨーロッパ戦線への参戦を抑止するという論がありました。
昭和15年の1月にアメリカは日米通商航海条約を破棄します。
これだけではなく、ルーズベルト大統領は日本への石油およびくず鉄などの輸出を許可制にしました。
それにアメリカは建艦に力を入れていました。
こうしたことが海軍の危機感をあおる結果となります。
軍艦を製造しても石油がなくては動かすことができません。
石油を他に得る手段が必要となります。
それが、インドネシアのボルネオ、スマトラ、ジャワでした。
このためにはベトナムへ軍を侵攻させなければならない。
そのためにはフィリピンのアメリカ軍を叩かなければならない。
そのためにはインドネシアを占領しなければならない。
こうした論理によって、海軍は三国同盟の賛成する方向へ傾きました。
海軍の決断を一押ししたのは松岡洋右の対米戦争は日本の自主性に任されているという趣旨の発言でした。
同盟の条約ではヨーロッパでアメリカが戦争をしたいても日本がアメリカと自動的に戦うことになることはないはずでした。