北部仏印へ進駐

昭和15年いよいよ日本はドイツと同盟を結ぶことによってアメリカ・イギリスを仮想敵国ではなく正真正銘の敵国とすることになります。
これに伴い陸軍は北部仏印(現在のベトナム)への進駐を計画します。
北部仏印といっても支配国であるフランスは当時ドイツに降伏していましたから、日本軍にとっては絶好のチャンスだったわけです。
この進駐の目的はいざというときのためであったと同時に、蒋介石への米英物資の遮断でもありました。
さて、この進駐はガタガタになっているフランス相手に交渉によって行うはずでした。
ところが、戦火を交えることとなってしまいます。
陸軍軍部内には、武人が敵地に乗り込むのにおめおめ両刀を収めて玄関から入るわけにはいかないという考えがあったのです。
話し合いがなかなかうまく行かないため苛立ったために不必要な流血を強いることとなりました。
本来無血のはずが流血をともなったことで他国から非難をあびることになります。
現地の交渉担当者は東京に対し「統帥乱れて信を中外に失う」と打電したそうです。