松岡洋右、スターリンに会う

松岡洋右はモスクワでスターリンに会います。
これは想定外の出来事でした。
ここで松岡は思い切った決断をします。
日ソ中立条約の締結です。
スターリンは当然独ソ戦を予想していたと思います。
それに備える意味での日ソ中立条約だったのでしょう。
松岡はそれを知りません。
モスクワを発つときにスターリンが見送りにきます。
スターリンはモスクワ駅で何を考えていたのでしょう。

それはともかく、松岡が帰国すると日本は南進一色となっています。
スターリンは日本の南進を喜んだことでしょう。
ソ連にとってはとりあえず敵をドイツに絞ることができたわけです。

アメリカはソ連の動きから対ソ戦略に千島列島が使えることを知ります。
これが後日役に立つことになります。
しかし、この段階ではこのことを把握したにとどめます。

1941年6月22日。
日本を驚愕させることが起こります。
ドイツが日本に連絡なしにソ連に侵攻したのです。
バルバロッサ作戦といいます。

これに対して松岡洋右はどうしたのでしょうか。
彼は言います。
「断乎としてソ連と戦おう」
これには皆が驚きます。
2ヶ月ちょっと前にソ連と中立条約を結んできた人の発言です。
松岡はさらに
「時間がたてばソ連の抵抗力は増し、日本は米英ソに包囲されることになる。
 日本が満州から攻撃に出てスターリンを潰し、ヒトラーに勝たせる。
 その後にゆっくりと南方へ進出すれば、
 米英を押えることができる。」
かくして松岡の南進論から北進論への転向がなされます。