大本営政府連絡会議

大本営政府連絡会議という会議がありました。
この会議は昭和19年に最高戦争指導会議という名に変わります。
それはさておき、この会議は近衛文麿が昭和12年につくったものです。
目的は政府と軍部のそれぞれの幹部が互いに話し合おうというものでした。
国務と統帥、つまり内政外交と軍事の相互調整を意図としていたのです。
この会議に法制上の根拠はありません。
したがって、国務については閣議で正式決定しました。

さて話は複雑になります。
天皇陛下天皇であると同時に大元帥でもありました。
言ってみれば軍の総元締めであったわけです。
軍の組織の一番偉いのが大元帥であったわけです。
天皇は内閣の決定したことに「ノー」と言わない人でした。
大本営政府連絡会議で決定されたことは内閣も承諾したのですから、天皇は「ノー」と言いません。
それが軍の意思であり天皇が反対であったとしても、大元帥の立場が行使できないことになってしまったのです。
結果として軍が内閣を押し切れば統帥権のあるべき天皇は反対をしないという体制になってしまったわけです。